2025年01月24日
ゲーム「FathomVerse」の世界 : コミュニティサイエンス、データ、そして海洋

大規模な調査潜水が行われ、大量の映像データも累積しているにもかかわらず、海洋科学者は海洋生物の90%以上が未分類になっていると推測しています。泡立つ波の下には海中の住人たちの大都市が広がっていますが、彼らは陸上の世界を知らず、恐らく知りたいとも思っていないでしょう。

しかし、気候変動により、このふたつの世界がいかに深く繋がっているかに注目が集まっています。人類が地球という惑星に与える悪影響を最小限に留めるためには、わたしたちの海洋に対する理解の深化が求められています。

「私たちが行っていることが持続可能なものであるかどうか、影響を及ぼしている生き物に対することを理解しないで、どうやって判断することができるというのでしょうか?」と、モントレー湾水族館研究所(MBARI)の主任技術者であるKakani Katija博士は言います。「データの処理と学習が高速に行えるようになればなるほど、洋上風力発電や野生生物の生息地管理などのプロジェクトに情報を早期に提供できるようになります」。Katija博士とMBARIのチームにとって、この課題に対する答えは、コミュニティサイエンス(※1)、AI、モバイルゲームが交差する場所にありました。

※1…一般の人が科学研究に参加し、各種分析に貢献したり科学的理解を深める活動

データに関する問題

1987年に設立されて以来、MBARIは探査と調査の記録を詳細に残してきました。創設者であるDavid Packardのビジョンであった、研究所に所属するすべての研究者がアクセス可能な図書館は、いまようやく現実となりました。

© 2022 MBARI

「MBARIでビデオ・アノテーション(※2)のための大規模なインフラを使用できたことは本当に幸運でした。」とMBARIのシニア・リサーチャー兼エンジニアリング・テクニシャンであるLonny Lundstenは言います。「37年間で収集した約3万時間の映像に1100万ものアノテーションを行いました」。Lundstenは主にビデオ分析を担当しており、潜水や探査で撮影されたビデオのクリーニング処理や情報のタグ付け作業を行っています。

※2…各種データにタグと呼ばれる情報を付加する作業。AIが認識できるようにデータに意味を持たせることで、機械学習精度を高める。

「データを手作業で作成し、ビデオをフレーム毎にチェックし、生物の種や生息地、その他興味深い事象についての記録をチェックしていくことは、非常に大変な作業なのです」。

MBARIでは科学目的での画像処理システムの使用が増えたため、増え続けるデータを従来のように手作業で分析するのは、時間的にも労力的にも不可能に近いです。機械学習モデルの訓練に使用するために、この5年間、MBARIの研究者はビデオや写真に捉えられた生物やその他の物体を正確に記録するために多くの時間を割いてきました。MBARIのさまざまな技術により収集された年間1,000時間以上に及ぶビデオに目を通すというような膨大な量の仕事は、機械学習モデルの訓練が終了すれば、以降はコンピューターに仕事を任せることができます。

「これらの画期的なツールによってデータを素早く処理できます。以前は手作業で何百時間もかかっていたことが、今ではわずか数日でできるようになりました。大量のデータをクラウドまたはローカルのコンピューターで処理するモデルであるため、非常に高い費用対効果を得ることが出来ました」。

「人間はそれには到底及びません」

それは必然的な進歩であり、信じられないほどの成功を収めました。しかしまだまだ完璧ではありません。Lundstenと彼の同僚たちは、機械学習モデルが行った作業の二重チェックのために、さらに時間を費やします。MBARIは常にデータ収集も行い、常に進歩し続けます。Lundstenが使用する自動水中探査車は200時間の探査で1時間あたり10GBの映像を生成します。1週間動作させると2TBのデータが蓄積されることになります。

あふれんばかりの映像データに苦労している研究機関はMBARIだけではありません。大量な、しかし大変貴重なデータの分析を進めていくために、研究者たちはますますAIに目を向けています。しかしAIを活用するためにはアルゴリズムを訓練するため、つまりAIに学ばせるための手法を見出さなければなりません。インターンや研究のためのアシスタントを大勢雇うなどということは現実的にも金銭的にも不可能です。しかし人間による監督はどうしても必要なのです。彼らは熟慮の末、前代未聞のアイデアを生み出しました。それはアノテーション作業、つまり発見プロセスをゲーム化することで、機械学習モデルの訓練をコミュニティ化するというものです。

コミュニティサイエンスのためのツールをつくる

科学者たちのコミュニティがプロジェクトを成功させるという事例から、Katija博士は世界中の海を愛する一般の人々の力を活用できるのではと考えました。博士とMBARIのチームはOcean Vision AIとともに、一般の人々を巻き込んで、データのレビューとアノテーションのプロセスを支援するモバイルゲームを作ろうと思いついたのです。こうして生まれたモバイルゲームが「FathomVerse」です。しかし開発を試みた当初、スタートした時点でひとつの、しかし大きな問題がありました。MBARIにはゲームを作った経験のある人がいなかったのです。

© 2024 MBARI

海洋研究に没頭していた彼らは、今までとは全く異なる別の知見が必要になることを理解していたため、Katija博士は外部に適切なパートナーを探そうと動きました。世界中のゲーム・スタジオに企画書を送り、開発してくれるパートナーを求めたのです。果たして、オランダ・ロッテルダムに本拠を置き、ゲームを活用した教育の分野で豊富な経験をもつ「&ranj」が、ゲームの開発に名乗り出てくれました。スタジオの共同所有者でありゲームディレクターのGAF van Baalenにとって、この協業は最高のマッチングでした。

「わたしたちのモットーは『さらに明るい未来を共に切り開く』です」と、van Baalenは語ります。「より良い世界のために貢献したいと考えています。FathomVerseのような素晴らしいプロジェクトに参加できる機会を与えてもらったことにとても感謝しています」。

「モバイル空間で、手軽で、そして最高の仕組みを備えたアプリです。単にアプリの中に魚を置いてみたというものではありません。参加者に楽しんでもらえて、しかも研究に役立つデータを取得できる夢の仕組みをゼロから作り上げたのです」とvan Baalenは熱く語ります。

MBARIが抱えていた課題は、いまや画期的なゲームアプリへと生まれ変わりました。海洋探査で得られた大量の写真や動画がアプリの中に表示され、映し出された生物を識別するタスクが与えられます。事前にAIモデルが初期処理を行いますが、プレイヤーが生物を正しく識別することで、データの初期クリーニング処理やアノテーション、つまり注釈記録作業として記録されます。多数のプレーヤーが生物を識別してくれることにより膨大なデータ処理が高速化され、しかも楽しくゲームをしてくれることでエラーも最小限に抑えられるという考えです。
素晴らしい仕組みが誕生しましたが、一方で越えなければならないハードルも存在します。プレイヤーを魅了するゲームを作る一方で、FathomVerseの開発チームにとって有益な結果(データ)を提供する方法を探らなければなりません。

「開発チームのみんなに意味のあるフィードバックを提供することが大きな課題のひとつでした」とBaalenは述べています。「ゲームで失敗したら、次にプレーするときに学習して適応し、改善するためのフィードバックが必要になります。この点が重要であることは分かっていましたが、データには、ラベルが付与されていないか、あるいはラベルが付いていても信頼性に欠けるものが含まれていたからです」。

この課題に対応するため、開発チームはFathomVerseに参加するプレイヤーたちの力を借りて、コンセンサス・アルゴリズムを開発しました。それは、ある画像が得た得票数やプレイヤーのゲームクリア頻度などのメタデータを活用して、その生物が何であるかという予測の正確性を高めるアルゴリズムです。データの信頼性を高めるために、ゲームはスピードや得点を追い求めすぎないように設計されました。データの正確性こそが命ですから、急いでゲームを進める、あるいは得点ばかりを追い求めることで、判断ミスを増やさないようにするためです。

Lilli Carlsen © 2024 MBARI

「ゲームの完成度を高めることは、すなわちデータの正確性を高めることにつながります。プレイヤーを楽しませることは当然のことですが、このゲームアプリは科学を最優先にすることが目標なのです」とBaalenは述べています。果たして、この哲学は大成功を収めました。世界100以上の国に住む、のべ一万人以上のプレイヤーがゲームに参加し、データを記録してくれました。既に400万件以上のラベルが生成されているのです。

海上に引き揚げる

ゲームアプリのデータがMBARIに届くと、科学者たちによってデータのレビューが重ねられ、データベースに登録されます。データが増えていくことで、そして手順が理想的に効率化されることで、いま以上に新しい発見を促し、海洋研究社たちの力となっていきます。

Katija博士は、「わたしは常に研究者たちの負担を減らしたいと考えています。ルーティーンワークに時間を割かれることなく、他者に助けてもらうことで、彼ら研究者たちはデータから新たな知見を得ることに専念することができます。データについてさらに深く考え、そこからどう学ぶべきなのか、あるいは変化する海の中で、これらの生態系がどのように機能し、どのように変化するのかについて我々の理解を深めることができるのです」 と述べています。

これらの画期的なAIモデルは、「なんでもできる優秀な研究アシスタント」であると、Lundstenは笑顔で語ります。

© 2020 MBARI

「いずれ、海洋で調査を行う際には調査船でこのシステムを積極的に利用することになるでしょう」とLundstenは語ります。「調査を行っている間に、モデルはリアルタイムに処理を行い、ビデオ・ストリームで見つけたすべてのものに対してマーキングを施し、それらを識別し、データに登録します。例えば地質調査のためにROVを使っているとしましょう。機械学習が出力した資料をコントロールルームでレビューしている誰かが異常な検知に気づき、ROVを操作する科学者にリアルタイムで警告することが出来るようになります。こうした気付きは、科学にとっての新しい種となり、異なるまったく新しい発見につながるかも知れません。仮にその科学者の専門が地質学であり、観察対象となっている生物に詳しくなかったとしても、モデルがリアルタイムで処理してくれることで正確性が高まります。これらの仕組みはとても有用なのです」。

「潜水活動がいままで以上に知見を深めるもの、価値の高いものとなりました。まるで魔法のようです」。

Katija博士にとって、プロジェクトの最終段階、最終形とはどのようなものなのでしょうか。太平洋からペルシャ湾まで、自動的に識別、カタログ化し、世界中の研究者の力となるシステム。ゲームや研究を推進するのは新たな発見ですが、最終的には、海洋と、そして私たちが海洋に与える影響の発見に結びつくことになるのです。

「気候変動はいままさに起こっていることです。わたしたちはこの問題に非常に大きな懸念と不安を抱いています。しかし良い方向へ変化をもたらす選択肢がさほど見いだせないいま、少し無力感を感じているのです」と博士は語ります。

「しかしいま、モバイルゲームをプレイするだけで、気候変動対策に直接取り組める仕組みが出来上がったのです」。

Lilli Carlsen © 2024 MBARI

画像提供:MBARI
ヘッダーアートワーク:Rachel Garcera

著者: Thomas Ebrahimi
※Western Digital BLOG 記事(AUGUST 20, 2024)を翻訳して掲載しています。原文はこちら

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